2014年1月31日金曜日

2/8 風浪宮 裸ん行

2014年02月08日~2014年02月11日 風浪宮大祭が行われる。

2/8(土) 裸ん行 19:30 若津神社出発 20:00 風浪宮到着

邪気退散と書いた「大うちわ」を先頭に締め込み姿に鉢巻、白足袋の出で立ちで、片手に松明(たいまつ:青竹に布を巻き油を染み込ましたもの)の火を灯し12〜13基の樽御輿を担ぎ、約3キロの道のりを、若津神社から風浪宮まで”ワッショイワッショイ”と掛け声勇ましく街中を掛ける。

太鼓が打ち鳴らせる中を、風浪宮に到着後、本殿を3周して神職の御祓いを受ける。


僕も2010年に参加した。

2010/02/08 風浪宮 裸ん行
裸ん行 2010/02/08
裸ん行 2010/02/08

懐かしいな。

裸まつりは盛り上がるんだよね。


youtubeで、2010年の動画を探したが見つからなかった。

2011・2012年の動画があった。





今年は、ボランティアスタッフで参加しようかな。

松明持って走るのは1/19で締め切られちゃったから。


しか~しっ。

こっちも行ってみたいんだよな。

長崎ランタンフェスティバル


一緒にいて心地がいい人

昨夜FBで、安部塾塾生に対してこんなコメントが。

『撮影で向きあわせていただいたときに、とても心地が良かったのを覚えています』

これ、書かれた本人は相当嬉しかっただろうな。

自分の成長を、強く実感できたんじゃないかなって気がする。


塾長として何が嬉しいかって、塾生が『一緒にいて心地がいい人』であること。

一緒にいて心地がいいということは、その人の心が満たされているということだもの。


友人が、こんなCMをFBでシェアしてくれていた。




正義と正義がぶつかれば、そこに居心地の良さなんて生まれない。

愛と愛が交錯するとき、そこに居心地の良さが生まれる。

一緒にいたいと思ってもらえる。

それはとても幸せなこと。


辛いに一閃で『幸』

『「辛」いって思ってても、一閃かませば「幸」せになるってわけよ』

そんなセリフがあるけど、実際ほんとそう。

辛いときは、一閃かましてみたいものだ。

2014年1月30日木曜日

O脚矯正の秘技

僕の特技のひとつに、O脚の矯正がある。

本日の指導による、矯正前→矯正後の変化。

膝関節の過伸展を矯正すると O脚が改善される


膝が近づいただけではない。

お尻(骨盤)の形が美しくなったのがわかる。


美学的に美しい肉体は、力学的に正しい。


膝関節が過伸展(伸びすぎ)状態になると、内股が使えない。

内股が使えていない状態の骨盤周りは不安定。

腰や膝や首の均衡(バランス)が崩壊してしまう。

脚は土台なのだ。


矯正は、とある秘技を使うと、簡単にできる。

安部塾でよくやるアノ技w


2月1・2日の鹿児島ヨガクラスでやる予定。

お楽しみに (*´∀`*)

まず『やろう』という気持ち・意気込みが大切

大晦日~元旦にお世話になっている、大好きな『佐多岬』の記事。

17年前の佐多岬観光より

ここに古びた南日本新聞の切り抜きがある。南大隅町郡在住の坂元孝子さんが持って来て下さったものである。

発行日がないので、記事の内容から推察すると、平成10年12月に発行されたものだと思われる。

『佐多岬ふれあいセンター、オープン1年』の記事である。





1年間の宿泊者数が9,763人、1万人に少し足りなかったが、それにしても多くの人が利用していたのですね。

読み進むと、もっと驚く。ふれあいセンターの前身、「国民宿舎」時代にも、年間平均1万人が宿泊していたのだそうである。

ふれあいセンターがオープンした相乗効果は、さたでい号、ロードパークの利用者数にもあらわれたという。

この頃、佐多を訪れる観光客は年間10万人を下らないとも書いてある。

ここ1~2年、佐多岬に来る観光客は増えたともいわれているが、その半分にも満たない。

何がこんなにも違うのだろうか?


今後の佐多岬観光のあり方を示唆する興味深いことが書いてある。

ふれあいセンターのオープンとほぼ同時に、役場職員が中心となって、土曜、日曜日にロビーで『特産市』を開き、地元特産品を並べたところ、多い日は30万円以上、平均でも4~5万円の売上があったそうである。

展望台、レストランよりも前に、まず、地元の“やろう”という気持ち、意気込みが必要なのではあるまいか。

引用ココマデ


僕は、あちこちで『活性化』のお手伝いをしている。

盛り上がるところあり、盛り上がらないところあり。

盛り上がるところに共通しているのは『やる気』。

やる気は親近感を高め、仲間意識をつくり出す。

生まれた共鳴共感が、奇跡を起こす。

『やる気と感動の祭典』状態になる。


世の中はコミュニケーションでできている。

人と人だけではない。

人と自然・人とモノ・すべて。

愛情をかければ環境がよくなるのは、コミュニケーションだから。


青島神社・新春の禊前夜祭で元宮への参道で感じたこと。

『ひとえに・・・・・・愛だね』


多分、やる気とは、『対象に対する愛』そのもの。

『愛なら仕方ない』


愛が足りないから、やる気が出ない。

何をなすにも、情熱も投資が必要。

そこに愛はあるのか?

やる気のあるなしでそれがわかる。


コミュニケーションは、対象への愛がないと成立しないのかもしれない。

あなたの言葉を変えよう。それだけで世界は変わるから。

言葉を変える、それだけで世界は変わる。見直そう、あなたの言葉。より

言葉を少し変えただけで、人々の反応も変わる。そんなことが分かる動画。



引用ココマデ


言葉を発するとき・・・・・・

「相手を自分の思い通りに動かしたい」とか

「自分をよく見せたい」とか

そんな気持ちでいたら、うまくいかない。


そんなとき、主語は『あなた』になっているはず。

主語を『私(僕)』にするだけで、世界が変わる。


あなたを主語にすると、相手を非難する感じになる。

「あなたのせいで」

「あなたは~だ」

叱責や攻撃的な言葉は、相手を防衛的にしてしまう。


自分の考えを強要するような言葉を並べてはいけない。

反感を呼ぶだけで、そこに愛は生まれない。

あなたを主語にするのを控えよう。

相手を責めたり行動を無理に変えさせたりする言葉が出にくくなる。


自分を主語にして、言い換えてみよう

「僕はいま、こんな状況なんだけど、協力してくれる?」

「僕に力を貸してくれると嬉しい」

自分が感じている気持ちや感情を真っ直ぐに伝えよう。


相手がこれまでやってこなかった否に触れないこと。

いまやってくれたら、自分がどんなに助かるかを語ること。

相手を批判するのではなく、自分の気持ちを率直に表現する。

素直な気持ちを言葉にするだけなので、恥ずかしくはない。


もう一度、さっきの動画を観て欲しい。

看板の言葉の意味が、よくわかると思うから。

2014年1月29日水曜日

大切なのは人柄

徹さんが、こんな動画をシェアしていた。



いろいろと考えさせられた。


ついつい、能力のあるなしばかりに目がいきがちだけど。

『人柄=その人に備わっている性質や品格』が大切なんだよね。


才能があったとしても、人柄に問題があったとしたら、誰もついてこない。

それでは、たいしたことはできない。


何の才能もなくても、人をひきつけるような人柄なら、能力ある人たちが集まる。

とてつもなくすごいことができる。


たくさん協力・協賛してもらえるから。


『一緒にいて心地が良い人=和の心をもつ人』が、すごいことを成し遂げる。

それは当たり前のこと。


周りの人たちの支えなくしては、何もできやしない。

他人や世の中を否定するということは、自分自身を否定するということ。

好かれ、愛され、応援してもらえるからこそ、肯定的な気持ちで生きれる。

他人を大切にしているから、自分自身を大切にできる。


教育出版 国語教科書 民話イラスト「いなばのしろうさぎ」

動画を観ていたら、大国主命の神話を思い出した。





大国主命は優しいけれど、決して強い男ではない。

けれど、親しまれ愛され助けられる。

人々が、ほおってはおかない。

その人柄が、葦原中国をつくったのだと思う。


出雲に行きたくなった (*´ω`*)

愚痴を言うと体調が悪くなる~愚痴を言う人≒愛されたい人

体調が悪い人たちと一緒に過ごしてみる。

愚痴の言い合いが始まる。

「そういえば、僕も愚痴言ってた頃は具合悪かったよなぁ」

そんなことを思い出す。


※愚痴=言ってもしかたのないことを言って嘆くこと


愚痴を言葉にする。

その言葉をいちばんよく聞いているのは自分自身。

脳が甚大なダメージを受けてしまう。

愚痴を聞いてもらえて楽になったように勘違いしてしまうけれど。


自分自身にも、聞いてくれた相手にも、良い反応は起きない。


愚痴を言う人は、ひとりで延々としゃべる。

眉間にシワをいれ、背中を丸め、妙なテンションで・・・・・・

そりゃ、体調も悪くなるってもんだ。

ほんとに良いことなんて、ただのひとつもありはしない。


脳にダメージがあるので、認知症につながるかもね。


誰かが、「愚痴を言う人とは、愛されたい人」って言っていた。

なるほどたしかに、愛したい人が愚痴を言うはずがない。

愛されていないと感じる不平不満こそ、愚痴の正体なわけで。

骨の髄まで愛されて満たされている人が、愚痴を言うはずがないもの。


愛したくなるような時空を生きよう。



『咲笑』


もうすぐ春がやってくる。

冬眠っていたものが咲く。

「咲」は「わらう」とも読む。

「咲」は、「笑」の古字を書き誤った漢字。


木花咲耶姫が美しい理由。


アイシュワラ・ライさんの咲笑

2014年1月28日火曜日

人々の心の闇を照らす日の女神

梶田半古『天宇受売命』

『神楽(かぐら)』

神宿るところ=『神座(カミクラ)』に神を招き、

降臨した神に、舞を捧げる。

神の心を楽しませ和らげる『神遊び』

神楽の祖神アメノウズメは、愛嬌たっぷりに、世の中を明るく照らす。


アメノウズメは、アマテラスが岩戸にお隠れになられたとき、

太陽神再生の舞を岩戸の前で舞い、人々の心の闇を照らした。


天宇受売命、天香具山の天ノ日影をたすきにかけて、天ノ真折(まさき)をかずらとして、天香具山のささ葉を手草(たぐさ)に結ひて、天の岩屋戸におけを伏し、ふみとどろこし神懸かりして、胸乳を掛き出だし裳緒(もひも)をほとにおし垂れき。ここに高天原動(とよ)みて八百万神ともに咲(わら)ひき。ここに天照大御神、怪しとおもひて天の岩屋戸を細めに開きて、内より告るに「我、隠りますによりて、天原おのづから闇く、また葦原中国みな闇からんを、何ゆえを以て、天宇受売は楽をなし、また八百万神はともに咲(わら)ふや」と。ここに天宇受売まうして言わく「汝が命に益して貴き神坐す、ゆえに歓喜び咲(わら)ひ楽(あそ)ぶ。」


そう。アメノウズメは心の太陽神なのだと思う。

心の太陽神アメノウズメの舞を、ロクちゃんが舞う。


火の神の舞イメージ動画

こんなに合うとは思わなかった

2014年1月27日月曜日

日本伝統芸能の力

いやほんと、凄すぎて言葉が出ません。



ニコニコのコメつきはコチラ→【ニコニコ動画】【東方和楽】綾吊メドレヰ【アリスメドレー】

花のように美しい火の神・木花咲耶姫(このはなさくやのひめ)の舞


5月の龍宮城祭り前夜祭・龍宮神社創作夜神楽で、

屋久島のファイヤーベリーダンサー Mikiさんが舞ってくれることになった。


金峰町~加世田には、『木花咲耶姫(このはなさくやのひめ)』の伝説がある。

道の駅きんぽう木花館にある木花咲耶姫の像

日本を創った母神さまだ。

参考神話→木花咲耶姫について


『花のように美しい火の神』

まんま、Mikiさん。

なので、木花咲耶姫の舞を舞ってもらおうと思っている。

もちろん、炎の舞。


参考動画 0:11~1:08



イメージは、桜色。


上の画像は、google検索すると出てくる最も可愛いもの。


いまのところ、長崎鼻・龍宮神社での夜神楽は3番を予定

・岩戸ひらき伝説 天鈿女命(あめのうずめ)の舞

・火の神伝説 木花咲耶姫の舞

・龍宮伝説 豊玉姫の舞

すべて女舞人。


日本国発祥の地にふさわしい、『母』をテーマにした創作神楽をつくりたい。

2014年1月26日日曜日

すべては、この舞から始まった。

素晴しい。




思えば、この舞からすべてが始まったんだよなあ。





lyrics - This lyrics is classical Japanese language (文語 / bungo) ver .

流れゆく時の中にさへ 心憂きものくるくるまはりて
nagare yuku toki no naka ni sae kokoro uki mono kurukuru mawarite

此方より離れける心も 見ゆることなし 知らぬわ
konata yori karekeru kokoro mo miyuru koto nashi shiranuwa

おのづから動くをよしとせず 時の透き間へ流るる さりとて
onozu kara ugoku wo yoshi to sezu tokino sukima e nagaruru saritote

知ることもなきまま 風のやう うつろひて ただ うつろふ
shiru koto mo naki mama kaze no you utsuroite tada utsurou

夢見るや 浅き夢見じ はらはら消ゆる言葉 言の葉
yume miru ya asaki yume miji harahara kiyuru kotoba kotonoha

あはれがれども困ずるならば いたづらにただ眺め続けむ
aware gare domo kouzuru naraba itazura ni tada nagame tuduken

心まよはす言の葉にさへ まどふことなく ただ上の空
kokoro mayowasu kotonoha ni sae madou koto naku tada uwanosora

思ひわずらふことなどをかし 総て変えゆくなら 黒にせむ
omoi mazurau koto nado okashi subete kae yuku nara kuro ni sen

流れゆく時の中にさへ 心憂きものくるくるまはりて
nagare yuku toki no naka ni sae kokoro uki mono kurukuru mawarite

此方より離れける心も 見ゆることなし 知らぬわ
konata yori karekeru kokoro mo miyuru koto nashi shiranuwa

夢見るや 浅き夢見じ はらはら消ゆる言葉 言の葉
yume miru ya asaki yume miji harahara kiyuru kotoba kotonoha

あはれがれども困ずるならば いたづらにただ眺め続けむ
aware gare domo kouzuru naraba itazura ni tada nagame tuduken

若しおのづから動かば 総て壊さむ 総て 総て 壊さむ
moshi onodu kara ugokaba subete kowasan sbete subete kowasan

心の色はうつりにけりな 射干玉の夜 黒より白へ
kokoro no iro ha utsurinikeri na nubatama no yoru kuro yori shiro e

そなたの心 此方の心 総て知らざることばかりゆゑ
sonata no kokoro konata no kokoro subete shirazaru koto bakari yue

重たき夢の縁より覚めて
omotaki yume no fuchi yori samete

壊さば壊せ 総て黒になれ
kowasaba kowase subete kuro ni nare


Original : 「Bad Apple!!」 Zun 上海アリス幻樂団 / 東方幻想郷

褒められ慣れると、いろいろ捗る。

ホメられて焦っちゃう人のためのリアクション術より

日本には、「褒める」ことや「褒められる」ことに対して慣れていない人が多い。

「リアクション下手なので、いきなり褒められるとテンパる。結局『そんなことないですよー』などと普通に返してしまう」

誰かになにか褒められた時に「そ、そんなことないよ!そんなことないってば!!」みたいなリアクションする癖やめたい。

褒められた部分を否定することは、褒めた人のセンスも否定することになってしまう

否定的な返しをしたら、相手がまたそれをフォローするため他に褒めポイントを探さなければならなくなる。

誰かに褒められた時、『いやいや、私なんか』と自分を見下げたリアクションをとるのは、『謙虚さ』ではない。それは、その褒め言葉を素直に受け取れない自分の『高慢さ』に他ならない。

「いいえ」の代わりに「ありがとう」、そして「嬉しい」と言ってみる。

「私の事を見てくれているんですね」という意味で、もっと相手を受け入れる気持ちを持って接する。

引用ココマデ



褒められたとき、相手の言葉を素直に受けとらない。

それは謙虚とは言わない。


卑屈で傲慢な行為。


褒め言葉を聞くと、いたたまれないような気持ちになる。

相手の言葉を否定してしまう。


ちゃんと褒めてもらえずに育ってしまったという悲劇。

だから、褒められると居心地が悪くなる。

褒められたときに感じる気持ちを処理できない。

現在の自分をゆるしていないから。


褒められ慣れないまま大人になる。

心から他人のことを褒めることができなくなる。

与えてもらえなかった言葉を、他人に与えるのは難しい。

褒められるのがヘタな人は、褒めるのもヘタ。


口を開けば、他人の批判ばかり。

他人のアラ探しばかりしている人は、自分に自信がない。

自分で自分を認めていないから、他人を認めない。

他人をサゲても、自分がアガるわけではないのに。


自分のことを大切にしている人は、相手の良いところに目がいく。

おだてるのではなく、褒めることができる。

他人からの褒め言葉を、素直に受けいれることができるから。

当たり前のことを当たり前にやれる。


褒めてくれなかった親を恨んでもしかたない。

自分で自分の良いところを褒めればいい。

そのうち、他人からの褒め言葉を素直に受けとれるようになる。

そうすると、他人を褒めることができるようになる。


これまでの澱んだ時間がウソのようにクリアになる。

人生が捗る。


いまの自分を褒めよう。

2014年1月25日土曜日

『岩戸ひらき』の曲は『太陽は昇る』でいきたいと思う

龍宮神楽『岩戸ひらき』の曲は、大神のこの曲しかないと思う。



ゲーム史上最高峰の神曲。

大和民族なら血が騒ぎ、聴いているだけで涙が溢れてくるはず。


あ、海外でも涙腺崩壊させてたんだった。


大神より

特にラスボス戦の展開は、ゲーム史上屈指の感動シーンであり、涙腺崩壊する者が後を絶たないあまりにも涙が止まらないので、「ラスボス戦での最大の敵は涙で画面が見えなくなる事」「ラスボス戦では画面が滲むバグが発生する」とまで言われている。


ラスボス=常闇ノ皇との戦いの最中。

アマテラスが力を失い、世の中は真っ暗になってしまう。

そのとき、相棒の天道太子イッスンが言う。

※天道太子=神様の威光を世界中に伝道するための存在


『暗い話題ばかりのこの世の中。

 こんなんじゃぁ表で気持ちよく昼寝出来ないし

 みんなの心もどんよりしてしまってロクなことがねぇってもんだい。

 そんな陰気な世の中は、誰も望んじゃいないだろォ?

 ・・・それならどうだい?

 ここはひとつ力を合わせて大神サマのご機嫌取りと行かねェか?

 なぁにチョイと天に向かって手を合わせ心の中で感謝の気持ちを捧げるだけだィ。

 ・・・年がら年中神頼みってのも情けねェ。たまには神様を労って少しは苦労を肩代わりしてやろうじゃねェか。

 みんなの心が届いたら お天道様も機嫌をなおして顔を出し 浮世をあまねく照らしてくれらァ!

 だって大神アマテラス様は、ポカポカ陽気がご身上のお調子者なんだからなァ!

 そうだろうアマ公?聞こえてんなら返事しろィ。この毛むくじゃらァ!!』


大神のテーマは、『決意』

アマテラスと出会い、人々は自ら決意する。

アマテラスに依存するのではない。

自分の命をかけて、自らの使命を全うしようとする。

神頼みで解決しようとはしない。

そして、最後の最後での神頼み・・・涙腺崩壊必至。


そう。

人々の信仰心が、アマテラスの力の源なのだ。


現在、『岩戸ひらき』のお話を考えている。

アメノウズメとタヂカラオが天道太子的に舞うイメージ。

インッスンのセリフのままにね。

お天道様が顔を出してくれるといいな (*´∀`*)

青龍(平尾台)と玄武(指宿)を結ぶ

福岡県京都郡苅田町山口青龍にある『青龍窟

中にある岩屋神社の御祭神は『青龍大権現豊玉姫

画像引用元 京築まるごとナビ


2009年11月に参拝したときの写真があった。

平尾台 青龍窟 2009/11/15

懐かしいな (*´∀`*)


そして昨年、枚聞神社に昇殿させていただいた。

そこにあったのは・・・・・・龍柱。


青龍でつながった瞬間だった。

キトラ古墳 青龍

キトラ古墳 青龍 復元図

僕の指宿のイメージは『玄武』なんだよね。

キトラ古墳 玄武

海亀だけどね。


豊玉姫神社より

棟札の一部には元禄(げんろく)8年(1695年)のものがある。

島津当主第21代吉貴(よしたか)公を守るために地元の造営人たちが、

「主君を敬い,民を愛し、災難が起こらないように」

「長生きして子孫に恵まれ、それぞれの願いが叶うように」

・・・・・・という思いを込めて建てたと伝えられている。


ヨシタカつながりだ (*´∀`*)


もっと書きたいことがたくさんあるのだけれど、きりがないな。

これからどのようにつながっていくのか、楽しみでならない。

2014年1月24日金曜日

自分は自分。他人は他人。

自分と他人を比較して何が生まれる?

劣等感や優越感などの負の感情以外の何も生まれない気がする。


自己評価を高めることに力を注ぐ。

他人の目は気にしない。

自分らしく生きていきたいのなら、そうすればいい。

そうすれば、他人の言動には振り回されることはなくなる。


そもそも、他人が自分をどう評価したとしても、

それを自分が気にしなければ、影響なんてないのだ。


他人の評価なんて、その人が感情でしているもの。

その人の機嫌がよければ、高評価。

その人の機嫌が悪ければ、低評価。

振りまわされる方がどうかしている。


そんな他人の言動をゆるすことができればいいだけ。

いや、いつも御機嫌な人たちと一緒にいればいいだけ。


どんな人にだって、その人なりの生き方がある。

自分の言動が、他人からどう受け止められるをコントロールすることはできない。

愛されようと憎まれようと、別に気にする必要がない。

他人に評価されるために生きるなんて、ゾッとしてしまう。


『僕のことを高く評価しろ!!』

そんな人間は鬱陶しいので、それこそ忌み嫌われる。

高く評価することを強要するなんてどうかしている。

そんなことを考えてしまう自己評価の低さを問題視した方がいい。


高く評価される方法がないわけではない。

いつも御機嫌にしておくこと。

そうすると、同じく御機嫌な人たちとつながっていける。

御機嫌な人は他人を高く評価するので、結果的に高評価となる。


ていうかさ、他人を批判しているうちはダメだと思う。

だって、それは自分に自信がないことの現われだもの。

他人を批判したその刃で、自分自身が傷つくことになる。

他人の目が気になって仕方がないという状況をつくり出す。


僕が大好きな『ゲシュタルトの祈り』。


私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。

そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。

もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。

出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。


自分自身であるという自由を取り戻すことができる詩。

詠唱してみる価値はあると思う。


奇抜な服装や髪型やメイクは、自分を守るための鎧。

奇抜な人は、そのときは物珍しさでウケるかもしれない。

けれど、逆にインパクトが強いだけに、飽きられるのも早い。

ウケ続ける人というのは、意外になにもかも普通。

普通でありながら、相手を満足させることができている。


なぜ、服装や髪型やメイクが奇抜になってしまうのか?

目に見えるかたちで自分を主張しないと不安だから。

素の自分をさらすことができないから。

自分を守る防具としての奇抜さという鎧。


周りの人たちにしてみると、『痛い』だけなんだけどね。

自分に中身がないのを、自分を飾ることでごまかしてるように見える。

そこに覆い隠されたコンプレックスや自信のなさが透けて見える。

人間関係がうまくいかず、対人不安を持っているのがわかる。


自信がないからこそ、奇抜にしたがる。


自信がある人というのは、意外と何もかもが普通だったりする。

中身があるので、特別なアピールをする必要がない。

人間関係がうまくいっているので、安心しきっている。

素の自分をさらせるので、奇抜さという鎧をまとう必要がないのだ。


どちらがいいかは、考えるまでもなくわかる。

肩の力を抜いて、自分らしい自然な自分に戻ればいい。

そうすれば、やるべきことをきちんとやれるようになる。

やるべきことをやらないから、奇抜さに逃避しているだけだから。


というかさ、素の自分が評価されてはじめて『自信』がつく。

そのためには、等身大の自分以上に見せようとしてはならない。

鎧を脱ぐのには勇気がいるけどね。

普通でありながら受けいれられているという心地よさを体感して欲しい。

2014年1月23日木曜日

魂が揺さぶられる曲

一時期、流行りに流行った名曲『Ghost In The Shell』。

07:38~の盛り上がりは鳥肌モノで、圧倒される。



民謡と太鼓のパワーがハンパナイ。

この曲に負けないレベルで体を動かせる舞人は、そうはいないと思う。

脊髄~脳髄ごともっていかれるような疾走感。

「遠神恵賜(とおかみえみため)」の言霊が魂を揺さぶる。


川井憲次さんは天才だと思う。

西田和枝さん率いる女性民謡グループ『西田社中』の謡力。

和太鼓の茂戸藤浩司さんの打力。

まさに入神の領域。


コチラで視聴できます→イノセンス オリジナル・サウンドトラック [Soundtrack]



龍宮神楽は、このアルバムの曲でいこうかと思案中。

エクササイズでケガをするのは『現実逃避』が原因かもしれない

現実逃避より

現実逃避(げんじつとうひ、英語: escapism)は、現実に求められたり、何かしなくてはならない物事から意図的に注意や意識をそらすための行為や心理状態。困難な状況から目をそむけ、不安から逃れようとする機制

人は本能的に不快感を避けるため逃避するが、先延ばしに陥り長期的あるいは客観的な視野から見て不適切な結果をもたらしてしまう場合がある。現実逃避と呼ばれ戒められた結果として、酒や薬物あるいは問題行動に依存する事もある

一般には、やらなければならない業務、課題といった社会生活を送る上で義務的な仕事がストレッサー化し、それによる対処行動が本人の逃避に至る状態が平均である。重度の逃避衝動に陥った場合、他者に対する攻撃や、自傷による行動が見られる場合もある為、専門的治療が必要なケースもある。

対照的な定義として、「現実からの逃避」ではなく「現実への逃避」を意味する場合もある。高塚は、防衛機制のひとつである逃避を「現実に逃避する」もの、「非現実(空想)に逃避する」もの、「疾病に逃避する」ものに分類して言及している。この意味での「現実逃避」は、現実の忙しさを言い訳にして解決しなければならない問題を避けてしまう行為を意味する

引用ココマデ



この仕事をしていると、現実逃避について考えさせられる。

よくあるのは・・・・・・

『エクササイズを避けるために、忙しくしてみたり、病気になったりする』

この場合、自己改善からの逃避なのだと思う。

『自分の体型・体調がよくならないのを多忙や病気のせいにする』

そうしていれば、きつい思いをしなくて済むから。

言い訳をし続けた結果、ちゃんとやった人との格差が生じてしまう。


対して、ケガをしてしまうほど頑張る人もいる。

多くの場合、偏食などの歪んだ生活習慣を伴う。

体型や体調を整えるはずのエクササイズで、なぜケガをしてしまうのか?

それはおそらく『自傷行為』だから。


自傷行為より

自傷行為(じしょうこうい)とは、自らの身体を意識的・無意識的に拘らず傷つける事を言う。日本ではリストカットが有名である。虐待のトラウマや心理的虐待及び摂食障害、低い自尊心や完璧主義と正の相関関係があると考えられている。

初期の症状

リストカットを含む自傷行為が始まるのは精神的に最も不安定であった時期より数年遅れることが多く、若ければ10歳前後から始まる。酒や薬などを用いて始めることもあるが、多くの場合は自然に発症する。当初の感覚は強い憤り、不安、パニックなどである。前兆として、その感情を抑えようと物を投げたり壊したりすることもある

常習化

自傷行為をすることによって、一時的に当初の精神的な苦痛は緩和される。しかし、それは自分を傷つけた直後だけなので、止めたいと思っていたとしても、また新たな精神的苦痛を負うことによって何度も繰り返してしまい、常習化するケースがほとんどである。

人間関係が不安定になることが多い。引きこもりのような状況になることもあるが、基本的には人との接触を望んでいるので、一時的なものであることが多い。しかし、対人関係はその後も不安定であることが多い。この状態が続いた場合、現実検討能力が全体的に弱体化していく

回復

自傷者は、ある程度の時間がたつと精神的ストレスを言葉で表現することが多くなってくる。もともと自分自身の抑圧されたストレスが表現できなかった者に多いため、周囲の環境によっては回復することも少なからずある。実際に、精神的に落ち着けば自傷行為が治まる場合も多く、年齢と共に自傷行為をする人口は減る。これは、年齢に応じた経験によって自己を確立する術を手に入れたからと考えられる。

自傷行為の要因

悲しみや怒り、孤独感や劣等感などの感情により衝動を抑えきれない状態に陥った時、または呼吸困難、頭痛、吐き気など精神的ストレスによる症状が同時に襲ってきた時、それを抑えるために自らを傷つけてしまうと一般的にはいわれている。

自傷行為をする人の性格

一概にはいえないが、自傷行為をする人は我慢強く、自己に批判的である傾向があるとされる。また、自傷者は非常に自尊感情が低いコミュニケーション能力が欠如し、いつもぼんやりとしていて、虚ろで平板な人が最も多いが、多弁なだけで意味を成さないことばかりを言い、偽りの自己を作り出し、他人をからかおうとする精神構造の者もいる。また、無関係な話をすることで話をはぐらかそうとする者もいる自分自身の心の痛みに対しては過敏であるが、他者を全く信用できないことが多く、自分自身の肉体的な痛みしか信用できなくなっていることが多い

引用ココマデ



エクササイズに依存してケガをしまう人には、思い当たることが多いのではないだろうか?

ケガをしてしまうほどエクササイズに依存するのは、つらいことだと思う。


エクササイズから逃避する。

エクササイズに逃避する。

そのどちらも、うまくいかない。

『現実と向き合うこと』だけが、状況を改善してくれる。


つらくて受けいれがたい状況に陥ったとき、

その現実から目を背けたくなる。

だけど、その現実から目を背けていたら、

抜け出すことができなくなる。


現実と向き合って、状況を好転させよう。

なりたい自分・やりたいことを明確にしよう。

いまできることに集中しよう。

そうすれば、状況はきっと改善されるはず。

2014年1月22日水曜日

脳と免疫~心と肉体のつながり

精神神経免疫学より

従来、心身症(しんしんしょう)などにおける心とからだの関連を理解するためのアプローチは自律神経系と内分泌系(ないぶんぴつけい)に関するものが主流でした。近年では免疫系に焦点をあてた研究が急速な成果をあげており、この分野を精神神経免疫学と呼びます。

 脳細胞と免疫細胞(白血球(はっけっきゅう)、リンパ球、ナチュラルキラー細胞など)は、元来、同一のシステムに属していたものが進化の途上で分化したという説があり、これを裏付ける数々の知見が提出されています。また、免疫系に固有の伝達物質であるとみなされていた種々の物質(インターロイキン、インターフェロンなど)が脳の視床下部(ししょうかぶ)に直接作用してさまざまな精神症状をおこすという報告もあります。そして、脳内固有の伝達物質とされていた物質(アセチルコリン、アドレナリン、脳内麻薬様物質のエンドルフィン、エンケファリンなど)が、免疫細胞に直接的に作用して、その活性を強めたり弱めたりすることもわかってきました

 臨床場面では、たとえば、うつ病の患者さんにがんの発生率が高いという報告は、枚挙に暇(いとま)がないほどですが、これを精神神経免疫学的観点から裏付ける研究があります。うつ病患者さんではリンパ球やナチュラルキラー細胞の活性の低下が証明され、これは脳が分泌する免疫抑制物質のためではないかと考えられています。また、インターロイキンと消化性潰瘍(しょうかせいかいよう)の関連を示唆する報告があるほか、気管支(きかんし)ぜんそく、アトピー性皮膚炎など、さまざまな心身症に関して精神神経免疫学的なアプローチが進行中です。

引用ココマデ



僕と親しくなった人の免疫システムが正常化することがある。

共通して、精神状態が平穏になったときにそうなる。

感情が動けば、連動して自律神経やホルモンレベルが変化するからね。

特に、アレルギーを含む自己免疫疾患の改善が著しい。


免疫システムに影響を与えない感情は存在しないとすら思える。


僕がこのブログに、精神ネタを書く理由でもある。

エクササイズだけで免疫システムが正常化するはずがないと考えている。


病気というものは精神力で予防するのが基本だと思う。

健康な精神状態を保つように努力することが大切なのだ。

『不快感情が病気を引き起こし、治癒を妨げている』

そう考えて対処していく方がいい気がする。

『産屋』の舞

龍宮神社での夜神楽の舞の演目のひとつは『産屋』でいきたい。

宮城県石巻市河北地区の市指定無形民俗文化財 福地法印神楽より




龍宮で三年を過ごす彦火火出見尊と豊玉姫が契を交わし、御子を授かる。

一緒に戻ってきた豊玉姫は、尊が用意した産屋で出産する。

『お産の間は決して中を見ることなきように』

豊玉姫が橋掛かりから登場し、一廻りして高舞台の屏風の陰へ。

龍宮で三年を過ごす彦火火出見尊と豊玉姫が契を交わし、御子を授かる。

豊玉姫は尊が用意した産屋で出産する。

『お産の間は決して中を見ることなきように』


彦火火出見尊、前演目での若人面から荒型面に。

「我妻の安産のため海辺に鵜羽をもって産屋を造り、

日合わざるうち来て見ることなかれと契りしが、

いかが疑わし、よって産屋を見やばやと存じ候」

屏風の内を覗く。

そこには、龍蛇となりし豊玉姫が。

「装束を改め、始終を見ばやと候」と退場する。


高舞台から人形の赤子を抱いた豊玉姫と玉依姫。

彦火火出見尊に正体を見られてしまった豊玉姫。

もうこの国に居ることはできないと、御子を玉依姫に託す。

豊玉姫の袖を取り引きとめようとする玉依姫を振りきって龍宮へ。


後半、泣く泣く子別れをした豊玉姫が彦火火出見尊と争う。


・・・・・・という流れ。



南さつまの伝承に基づいて、舞の構成を考えたい。

舞の時間は10分くらいを予定。

舞人は、安部塾塾生の予定。

アクロバット的要素と、後半の争いは外し、厳かに舞わせたい。

自分の意見を押しつけずに、相手に自分の気持ちを率直に伝える。

アサーションより

コミュニケーション技法の1つで、「人は誰でも自分の意思や要求を表明する権利がある」との立場に基づく適切な自己表現のこと。

トレーニングを通じて、お互いを尊重しながら率直に自己表現できるようになることを目指す。 アサーションの観点から望ましい対人関係のあり方とは「まず自分のことを考えるが、相手のことも配慮する」相互的な関係である。

これは「相手に気兼ねし自分のことを後回しにする」タイプや「自分のことばかり考えて相手のことを顧みない」といったタイプの一方向的な対人関係とは異なる

引用ココマデ


『自分さえよければよい』という攻撃的な人

『自分より相手を優先してしまう』という非主張的な人

『自分も相手も尊重する』という主張的な人

良好な人間関係を築けるのは、主張的表現ができる人。


発言する前に自分と相手の気持ちを考えることができる。

自分の感情を押し殺して我慢しない。

といって、感情に流されることもない。

自分の正直な気持ちを自覚できている。

自分の気持ちを一方的に押しつけない。

相手がどのように感じるかについて、考える。


「僕は・・・」「私は・・・」という、自分を主語にした表現をする。

「あなたは・・・」という、相手を主語にした表現は攻撃的になりやすい。

相手を責めるような否定的口調になってしまうから。

自分を主語にすることで、それを回避できる。



「できない」という否定的な表現はしない。

自分の立場に囚われた表現もしない。

「こうすればできる」という肯定的な表現をする。

肯定的表現は、相手が受けいれやすい。


自分の正直な気持ちを言葉にして伝える。

感情や気持ちを率直に表す言葉を用いる。

そうすることで、不快な言葉づかいが減る。

自分がどう感じているかを表現すると、世界が変わる。


「~すべき」「~しなさい」という表現はしない。

一方通行な支配的表現は、拒絶されるか、相手を壊してしまう。

「~してほしい」という表現は、受けいれてもらいやすい。

たとえお互いの意見が違っていても、協力関係が築ける。


自分の意見を無理やり通そうとしない。

相手に自分の気持ちを率直に伝える。


・・・・・・そんな「当たり前のこと」ができるようになるのに、

40年以上かかってしまった。

カンペキにできるわけではないけれど、

それでもうまくいくようになった。


攻撃的だったり、非主張的だったり。

かつての自分は、その両極端を行ったり来たりしていた。

いま考えると、うまくいくはずがないのだけれど、

当時の僕は、うまくいかないのを周りのせいにしていた。


意外なことに、して欲しいことをして欲しいと言えばいいだけだった。

して欲しいという自分の気持ちを、命令や義務感で押しつけてもダメ。

無理やり要求するのではなく、素直にお願いすればいい。

自分を主語にして。


相手を自分の思い通りに動かそうとしない。

そのエネルギーを、自分の気持ちを考えることに使う。

そして生まれる新たなエネルギーを、相手の気持ちを考えるのに使う。

それでうまくいかないとしたら、それは多分いまは時期じゃないということ。


日々、自分が無意識にやっている表現。

その表現が、いまの自分の状況をつくっている。

そう考えてみると、なんだか楽しくなる。

同じ時間を生きるなら、楽しい方が(・∀・)イイ!!

2014年1月20日月曜日

龍宮伝説を元にした神楽をつくろうと思う

5月2~4日の鹿児島県指宿市龍宮城まつりで、龍宮伝説を元にした神楽を奉納したいと考えている。

そこで、神楽の元型をつくるため、龍宮伝説を調べている。


浦島太郎より

『日本書紀』による話

浦嶋子が文献に登場する例の初見は、『日本書紀』「雄略紀」の雄略天皇廿年(477年)秋七月の条にある記載である。浦嶋は舟に乗って釣りに出たが、捕らえたのは大亀だった。するとこの大亀はたちまち女人に化け、浦嶋は女人亀に感じるところあってこれを妻としてしまう。そして2人は海中に入って蓬莱山へ赴き、各地を遍歴して仙人たちに会ってまわった。

万葉集巻九による話

水の江の浦島の子が7日ほど鯛や鰹を釣り帰って来ると、海と陸の境で海神(わたつみ)の娘(亀姫)と出会った。二人は語らいて結婚し、常世にある海神の宮で暮らすこととなった。3年ほど暮らし、父母にこの事を知らせたいと、海神の娘に言ったところ「これを開くな」と篋(くしげ・玉手箱のこと。もともとは化粧道具を入れるためのもの)を渡され、水江に帰ってきた。海神の宮で過ごした3年の間に家や里は無くなり、見る影もなくなっていた。箱を開ければ元の家などが戻ると思い開けたところ常世との間に白い雲がわき起こり、浦島の子は白髪の老人の様になり、ついには息絶えてしまった。

『御伽草子』

丹後の国に浦島という者がおり、その息子で、浦島太郎という、年の頃24、5の男がいた。太郎は漁師をして両親を養っていたが、ある日、釣りに出かけたところ、亀がかかったが、「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ。恩を忘れるなよ」と逃がしてやった。数日後、一人の女人が舟で浜に漕ぎ寄せて自分はやんごとなき方の使いとして太郎を迎えに来た。姫が亀を逃がしてくれた礼をしたい旨を伝え、太郎はその女人と舟に乗り大きな宮殿に迎えられる。ここで姫と三年暮らし、太郎は残してきた両親が心配になり帰りたいと申し出た。姫は自分は実は太郎に助けられた亀であったことを明かし、玉手箱を手渡した。太郎は元住んでいた浜にたどり着くが、村は消え果てていた。ある一軒家に住んでいた老人に浦島太郎の事を尋ねると、浦島太郎は七百年も昔の人で、近くにある古い塚が太郎の両親の墓だと教えられた。太郎が姫と三年暮らしていた間に、地上では七百年もの年月が経っていたのであった。絶望した太郎が玉手箱を開けると、三筋の煙が立ち昇り、太郎はたちまち老人になった。その後、太郎は鶴になり蓬莱山へ向かって飛び去った。同時に乙姫も亀になって蓬莱山へ向かい、太郎と乙姫は再び巡り会って夫婦の神になったという。

「鶴亀」バージョン

浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす。亀は甲に三せきのいわゐ(苔)をそなへ、万代を経しと也。(中略、両者は)夫婦の明神になり給ふ

一説に、ここから「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と謡う能楽『鶴亀』などに受け継がれ、さらに、鶴亀を縁起物とする習俗がひろがったとする。

謎と背景

浦島太郎と似た説話に、海幸・山幸神話がある。その劇中、天皇の祖神、山幸彦が「塩土老翁」(しおつつのおじ)という神に「無目籠」(まなしかたま)という水の入らないかごに乗せられ、海神の宮(わだつみのみや)に行き、海神(わだつみ)の娘、豊玉姫(とよたまひめ)と結婚し3年間暮らし生まれ故郷に戻り禁(タブー)を破る話の大筋がそっくりであり、また『古事記』に著される山幸彦の孫の初代神武天皇がヤマトに向かう際、亀に乗り釣竿を持った男とされる珍彦(うずひこ)が水先案内人になる場合があり、この2人の人物は不思議と浦島太郎に似ている。

浦島太郎のモデルとなったとされる人物として、『万葉集』に「墨吉」(すみのえ)の人の記述があり、これは今も大阪の住吉にあり住吉大社に祭られている住吉明神の事であり、別名、「塩土老翁」といい大変長命長生きであったとされ、そのモデルとされる武内宿禰も大変に長生きである。浦島太郎、塩土老翁、武内宿禰、この3者は長生きで繋がる。

住吉明神から塩土老翁、「老翁」の字が老人になった浦島太郎にそっくりであり、住吉明神、塩土老翁、浦島太郎の3者は長寿、老人のイメージで繋がり、また塩土老翁は大和朝廷の天孫降臨を導びき、神武天皇の東征をうながした謎の神であるとされる。また武内宿禰は古代豪族、蘇我氏の祖とされ応神天皇の東征を導いたともされ、

浦島もどき:神武天皇の案内役の珍彦(うずひこ)
塩土老翁:神武東征を促し
武内宿禰:応神天皇の東征を導く。

この三者は同じイメージで繋がっていく。神武東征と応神天皇の東征はルートも似ており神武と応神天皇も同一人物ではないかとの見方も見て取れる。


『鶴亀鶴亀(つるかめつるかめ)』は除災の詞。

落語では、魔除けとして鶴亀を二回詠唱。

神楽舞のイメージが決まった。

これから、お話をまとめていきたい。

2014年1月17日金曜日

日本最高峰のだし

我が新宮町が誇る日本最高峰のだし(博多あごふりだし)を、東京の安部塾塾生のために買ってきた。よっちゃんマジ天使\(^o^)/

『こだわらない』という生き方

少し観察してみるとよくわかるのだけれど、不健康な人は『こだわり』が強い。

健康な人は、こだわらない。

こだわらないから健康なのか、健康だからこだわらないのか。

いずれにしても、こだわりが強いのはビョーキなのだと思う。


「こうじゃないといけない」「ああじゃないといけない」

どうでもいいことに、やたらとこだわる。

いわゆる『イラショナルビリーフ(非合理的な思い込み)』

非合理的な思い込みがあると、不幸な人生展開となる。


人生を不幸にさせるイラショナルビリーフ(非合理的な思い込み)より


・すべての人に愛されなければならない。

・ 事をなすには、完全無欠であらねばならない。

・ 人を傷つける人は、人から責められるべきである。

・思い通りにならないと、頭に来るのは当然である。

・人間は、外界の圧力で落ち込んだり腹を立てたりするものである。

・何か危険が起こりそうな時は、心配するのが当然である。

・困難や責任は、立ち向かうより避けるほうが楽である。

・ものごとはうまく運ぶべきで、直ちに最良の解決策を見出さねばならない。

・過去は重要であり、感情や行動に、今も影響を及ぼしているのは仕方ない。

・人の拒否・非難にあったから、自分はダメな人間である。


何故、イラショナルビリーフを持ち続けているかというと、

・養育者や友人・知人に、間違った暗示をかけられてしまったから

・「ねばならない」と「かくあって欲しい」という、願望と事実を識別していないから

・過去に執着する習癖があるから

・他者の反応を気にし、自己主張しないから

引用ココマデ



「~であるべきだ」という考え方にとらわれてると、、思考や行動が制限される。

素直なコミュニケーションができなくなる。


世の中のたいがいことは、

「そうであるにこしたことはないが、そうでないこともある」

そんなものだ。

建設的で合理的な考え方ができるようになると、心身ともにラクになる。


「自分で自分を変えることができる」と、論理療法的に考える。

自分の心の中の誤った文章記述を変えてみる。、

そうやって、自分の感情や行動を変えていく。

適切で事実に合った言動がとれるようになり、健康になる。


「~すべき」「~であるべき」「~しなければならない」

そんな非合理的な思い込みの前の、自分の素直な気持ちに気づく。

自分の気持ちを、素直に表現する。

どなったり、言い訳したり、遠回しに言ったりしない。


自分の素直な感じ方を大切にする。

感じ方、考え方は他人と違っていていい。

『嫌なものは嫌』という気持ちを伝えてもいい。

素直な気持ちでつながっていける関係が、この世には存在するから。


自分の気持ちを押しつけるとか、相手の気持ちを押しつけられるとか。

そんな『犠牲的コミュニケーション』は不健康の元凶だと思う。

自分も相手も尊重できる。

相手を見下したり、自分を卑下したりしない対等な関係が(・∀・)イイ!!


対等な関係を築けない状態でどんなエクササイズをやってもフィットネスにはならない。

僕はそう考えている。

2014年1月16日木曜日

2月から、総合健康技(Mixed Fitness Arts)を始めます。

青島神社 元宮 新春の禊 裸まいり前夜祭2014

1月12日の夜、青島神社元宮への参道を歩いた。

そして、40年の時を超えて復活した青島神楽を観た。

ふと思った。

『もういい加減で、ヨガという縛りから完全に外れていいんじゃないか?』

僕の身体操作法を教えるという原点に回帰する決意を固めた。

翌日、裸まいりを終えてANAホリデイ・イン・リゾート宮崎まで疾走した。

冷え切った筋肉で快走(ウインドスプリント)。

日頃の身体訓練の成果を実感した。

fitness world より

2月から、総合健康技(Mixed Fitness Arts)を始めることにした。

ありとあらゆる健康技を統合していきたい。

2014年1月14日火曜日

新春の禊 青島神社裸まいり2014

今年も、宮崎の青島神社にて『新春の禊 裸まいり』に参加してきました。

青島神社の御祭神、彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)が無くした兄・海幸彦の釣り針を探し出し、海神宮からご還幸された際、人々が衣類をまとう暇もなく裸の姿で取り急ぎお出迎えしたという古事よりはじまった伝統行事で、白足袋にふんどし・白装束(女性)の老若男女が、青島神社前の海に入って禊ぎ(みそぎ)を行い、神社に参拝、1年間の無病息災を祈します。

今年から裸まいりの見直しが行われ、青島神社の「神事」としての原点回帰の第1回目です­。


僕という個体はどうやら、復活とか原点回帰とか初回とか立ち上げが好きなようです。

青島神楽の復活と、禊神事の復活に立ち会うことができて、とてもシアワセです。

2014年1月13日月曜日

平成26年新春の禊 青島神社裸まいり前夜祭 神楽

市民メディアみやざきCMMさんが、昨夜の青島神社裸まいり前夜祭 神楽の動画をアップロードされてある。



僕がどこにいるかわかるかな?

2014年1月12日日曜日

青島神社特別神事に参加させていただいた

1回の特別神事は、10,000回のエクササイズに勝る。参列した人にしかわからないことだけれど。元宮にお参りするとき、感動のあまり涙がこみあげてきた。

2014年1月11日土曜日

龍宮城まつりプレイベントin加世田

みんな来てね\(^o^)/

フィットネス(健康)のためのエクササイズ(運動)に特化した活動を展開していくことにした。

昨年末頃、いろんな人たちから、こんな意見をいただいた。

『フィットネス(健康)のためのエクササイズ(運動)を前面に出した方がいい』

たしかに、僕の体は典型的なフィットネス体型。

ヨガ体型でもビルダー体型でもない。


『余計な脂肪や筋肉をつけ過ぎず、美しい姿勢をつくる』

そう考えて訓練を重ねてきた結果としての現在の体型。

おかげさまで、高い評価をいただけている。

肌の状態ともども。


体型と姿勢がきちんとしているだけで、いいことがたくさん起きる。

僕が享受させていただいているメリットを、みんなにも体験して欲しい。

体型崩壊・姿勢崩壊がもたらすデメリットは計り知れない。

今後は、健康のための運動に特化した活動を展開していきたい。

2014年1月10日金曜日

他人に、「こうであるべきだ」「こうでないのはおかしい』などと思う心が不幸を生み出している。


「他人支配」をやめると幸せになる



他人を支配したいという欲望を諦めると、シアワセに生きていける。

自分以外の誰かを、思い通りに動かそうとしてはならない。

「こうしなさい。ああしなさい」「これはいけない。あれはいけない」

言葉や行動で、他人をコントロール(支配)すると、瞬時にフシアワセになる。


「こうであるべきだ」「こうでないのはおかしい」

そう、他人に対して思う心が、不幸を生み出している。

自分には自分の、他人には他人の、独自の考え方・価値観がある。

身勝手な自分の思い込みを他人に押し付ければ、破綻するのは自明の理。


欲求と感謝は真逆の関係にあるので、欲求がある限り感謝はできない。

感謝なくして、良好な人間関係は築けない。

支配あるところに、愛はない。

相手を支配することを愛することと勘違いすると泥沼化する。


他人支配を膨張させても、いいことなんてただのひとつもありはしない。

他人支配をしようとすればするほど、自分自身が苦しくなる。


承認欲求についても、知っておいた方がいいと思う。


承認欲求より

人間は他者を認識する能力を身につけ、社会生活を営んでいくうちに、「誰かから認められたい」という感情を抱くようになる場合が多い。

この感情の総称を承認欲求という。

承認欲求は、主に子供や何らかのハンデを抱えている人々などの社会的弱者、劣等感に悩んでいる人間、そして情緒が不安定な精神病患者やパーソナリティ障害を持つ者に強いという傾向がある

その反対に、自閉症などの他者とのコミュニケーションが難しい、あるいは既に承認されたという経験があるので、それ以上の承認を必要としない人間は、それほど強い承認欲求を抱えない

以上の理由から、承認欲求は先天的な欲求ではなくて、対人関係を学習する過程で育まれる後天的な欲求である可能性が高い

承認欲求は承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。

ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつは自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。

前者を他者承認と呼び、後者を自己承認と呼ぶ。

劣等感の強い人間や、情緒不安定な人間は自己承認が困難だったり、あるいはその反対に過大な自己評価をしがちであることは、よく知られている事実である

また、思い込みが強い人間や被害妄想に囚われている人間の中には、幻想の他者を造り出してしまうために、自分が他者承認の問題であると思っていても、実際には自己承認の問題であるという錯誤がしばしば発生する。

また、承認欲求は、どのように認められたいのかという『認められ方』の違いによっても、おおむね3つのタイプに大別される。

ひとつは上位承認で、自分が他人よりも優位な関係で認められたいという欲求である。

こうした欲求を抱える人間は、極度のナルシストか、あるいは他者に対して強い猜疑心や被害妄想を抱えているケースが多い。

つまり、他人が信用ならないから他人を支配する存在として振る舞いたいか、あるいは自己を過大に評価した帰結として、自分が他人より優れているのは当然であると考えなければ、上位の存在として認められたいとは思わない。

もうひとつは対等承認で、これは読んで字の如く他人と自分の関係が平等であることを望む欲求である。

これは、「人並みに認められたい」と考える劣等感の持ち主にしばしば見られる欲求である。

そして、最後のひとつである下位承認は、自分が他人から蔑まれたい、あるいは吹けば飛ぶような存在だと思って欲しいという欲求で、被虐的な性癖のある人物や、社会的・道義的な責任を背負いたくないと考える人間、そして他人に依存したい、保護されたいと思っている人間が抱きがちである。

引用ココマデ


きちんと承認されるということは、とても大切なことだと思う。

2014年1月9日木曜日

親のためには いい子でいられるように 努力をしても空回り 期待に応えられないの



3:28~

親のためには いい子でいられるように

努力をしても空回り

期待に応えられないの


ていうかさ、親の期待に応える必要なんてどこにもないんだよね。

子供は、親の期待に応えるために生きているわけではないから。

子供は、子ども自身のために生きているのだから。

その昔、『Rescue me』が流行っていた頃、そう感じていた。





娘が通っていた小学校の教務がこんなことを言ってた。

『過剰な期待は子供を潰す』

いい子でいて欲しいなんて、親のエゴに過ぎない。

そんな無意味な努力をさせるなんて、クズ過ぎるだろう。


子供を生きがいにしないこと。

親は親の人生を、子供の人生を生きる。

それぞれが自分のために生きるとき、心が通じ合うようになる。

それはとてもすばらしいことだ(パールズ先生的に)。

自分語りばかりする人は、自信がなくて不安でしょうがないんじゃないかと。

なぜ男性には時々自分語りをする人がいるのでしょうか?より

飲み会などでよくある話なのですが、特に男性の中に、自分語りといいますか、自分の仕事や得意としている分野について、えんえんと話している人がいます。

聞いている方としては、相手が自分の話に入り込んでいて、相手からの質問も受け付けなかったりすることがあるので、時々退屈してしまったりします。

話している本人としては大変聞きがいのあることを話しているつもりかもしれないけど、聞いている側としては「なんでそんななんでもないことをえんえんと話しているのだろう」と思うこともあります

女性の中では、こういう人はあまり見かけないのです。どちらかといえば男性側にこういう人が多いような気がします。

また、時々自分の世界に入り込みすぎて、他人の価値観を簡単に否定するような人もいるので、不愉快な時もあります

このような自分語りというのは、男性が他人や社会に向けて「自分は強い人間である」ということをアピールし、それによって自分や家族を守っていく手段の一つであり、どうしても必要な
ものなのでしょうか。

自分の感じとしては、「この人は本当に自信があるんだな。」と思うような人は、そういう自分語りをせず、自分語りをするような人の前でにこにことうなずきながら耳を傾けている場合が多いような気がするのですが、他の人はこの問題についてどう思われるのでしょうか。


まず、聞いてくれる人がいるから喋るのだと思います。

↑家では聞いてくれる人がいない。

友人に言うことでもないからいわない。

会社の同僚や部下はひとまず話を聞いてくれます。

飲み会で会った関係の浅い人もそう。

そして、普段から評価されている人は、わざわざ自分から自分のすばらしさについて語らなくてもみんな知っていて、そのように扱われていますが、そうでない人は普段の他人からの扱いと自己評価に大きく違いがあるので、その自己評価どおりの自分を「わかってもらいたい」「聞いて欲しい」から酔いに任せて喋るのだと思います。

つまり、自己評価が高く、人望のない人ほどよく喋るのだと思います。

なので、私の受ける印象としては、自分と家族を守る手段という大層なものでなく、単なる「報われない自己アピール」のようなものだと思います。

話せば話すほど哀れなオーラが漂うので(^_^;)

女性でも自分の話を延々とする人がいますが、それは核のない話とか褒めて欲しかったり羨ましがられたかったりする類の話が多い気がします。

一方男性は、武勇伝的な話とか仕事できる的な話とか要は「すごい!!」「素敵!!」と感心されたり興味を持ってもらえたりしたい、という感じがします。

なのでその違いはなにかというと、前者の場合、聞き手<話し手という比較の関係の中で優位に立ちたい、という欲求がありますが、後者の場合は、何をおいても自分(話者)がすばらしいという主観的な立場(比較対象は必要なし)での「自分語り」なのだと思います。

あと、女性の場合大体は、反応する相手とのキャッチボールで「会話」となりますが(的確なら大げさな相槌ほど共感している感じになり話は盛り上がります)、男性の場合、微笑んでうなづいているだけで大いに気分よく語ったりします。←言葉のキャッチボール必要なし

もちろん個人差があるので一概には言えませんが、私のかかわってきた自分語りの人は圧倒的に男性が多く、会話ではなく独演会になる場合が殆どでした(^_^;)。

ヘタに反論しようものなら、私の人格否定に話が及んだりしてめんどくさかったですね…

引用ココマデ




わざわざ自分のすばらしさについて語らなければならない哀れさ。

すばらしい人は、いつも周りから「すばらしい人」として扱われる。

なので、自分のすばらしさについて語る必要がない。

きちんと数十年生きていたら、すばらしい人認定されているはず。


「あなたが、この世に存在してくれてよかった」

そう慕ってくれる人たちが、たくさんいるはず。


自分語りばかりをする人って・・・・・・

自信がなくて、不安でしょうがないんじゃないかと。

2014年1月8日水曜日

鹿児島新春ヨガ

みんな来てね\(^o^)/

凛として咲く花の如く



『千本桜』もいいいけど、この曲もいい。

『凜』とは、態度や姿などがりりしくひきしまっているさま。

『りりしい』は、【凜凜しい/律律しい】と書く。

依存しない自律的な雰囲気。

2014年1月7日火曜日

犀の角のように、ただ独り歩め。

「~してくれない」という不満。

他人に期待し求める気持ち=依存心が、そんな不満を生み出す。


ブッダの言葉------------

他人に従属しない独立自由を目指して、犀(サイ)の角のようにただ一人歩め。

四方の何処にでもおもむき、害心あることなく、何でも得たもので満足し、

もろもろの苦難に耐えて、恐れることなく、犀の角のようにただ一人歩め。


今年の僕も、どこにでもおもむく。

得たもので満足する。

親離れ・子離れ

子供に文句を言う親は、子供に依存している。

親に文句を言う子供は、親に依存している。


「いつまでもそばにいてほしい」と願う親は、子供に依存している。

「いつまでもそばにいたい」と願う子供は、親に依存している。


親は子離れしないといけない。

子供は親離れしないといけない。

そうしないと、いつまでも自立できない。

イライラの原因は依存なので、自立できればイライラは消失する。


自分のことは、自分で決めた方がいい。

子供にしてみれば、親に口出しされるのは、まっぴらごめんなはず。


子離れができない理由は何だろう?

子供の存在なしに、シアワセを感じることができないから。


そう。

リアルが充実していないから、子供に依存してしまうのだ。


行き着く先は、子供に対する過干渉。


子供に対して過干渉すぎると、子供の負担が大きくなってしまう。

親も子供に振りまわされて、心が不安定になる。

「自分には子供しかいない」なんて状態は、子供にとっては大迷惑。

解決策は、リアルを充実させること=豊かな人間関係を築くこと。


子供に依存しなくなったとして、他の誰かに依存したら、元の木阿弥。

他人は、自分の期待に応えるために存在しているわけではないから。

「私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる」

パールズ先生の祈りを、いつも口ずさんでおきたいもの。


子供も、親に依存しなくなったとして、他の誰かに依存したら道が閉ざされる。


親離れ・子離れできると、人生はとてつもなく豊かになる。

2014年1月5日日曜日

崖っぷちでヨガw

佐多岬 日の出ヨガ

何気に、初日の出見物客に注目されながらの崖っぷちヨガ。

柵の向こうは崖w

初日の出御来光をいただいてからの記念写真

2014年1月4日土曜日

1月5日安部塾指導者養成講座(福岡)参加の皆様へ

佐多岬 初日の出ヨガ

明日、1月5日の安部塾(福岡)は、8時30分に開場いたします。

安部塾(東京)の塾生2名も、参加予定です。

講座終了後、『新年の宴』として鍋をやろうと思っております。

今年一年、気合入れて身体を研磨してまいりましょう。

佐多岬 初日の出ヨガ

2014年1月2日木曜日

2014年1月1日 新春ヨガ & 禊

初日の出ヨガ





桜島噴火のポーズなど


充実の元旦でした (*´∀`*)