2015年4月8日水曜日

正確な動きが心をつくり、不正確な動きが心を壊す。「いつか」はやって来ないから、いまこの瞬間に始めましょう。

宗像クラスからの帰り道、ふと思いました。

「正確無比な美しい動きは、健全な心をつくる」

「不正確で穢(きたな)い動きは、不健全な心をつくる」

で、これ、逆も言えるなって。

「健全な心は、正確無比な美しい動きをつくる」

「不健全な心は、不正確で穢い動きをつくる」

心と動きは、同期していますからね。

祈りの型

動きが崩壊すると、心も壊れます。

姿勢の改善に本気で取り組み始めて、そう感じることが多くなりました。

そして、姿勢の改善に本気で取り組んでいる仲間たちも、そう感じています。

動きを改善した後には、なんともいえない解放感と爽快感があるのです。


「心の状態が良くなったら、いつか練習に行きます」

心が壊れている人が、よく発する言葉です。

そして、その「いつか」はやってはきません。

石にかじりついてでも練習に行き続けていれば、心の状態はよくなるものです。


僕が小さい頃、こんな言葉を発する大人たちがいました。

「いつか時間ができたら、やりたいことをやる」

「いつかお金ができたら、やりたいことをやる」

そしてその「いつか」は、やってはきませんでした。


みんな死んでしまいました。


「そのとき、その場で動く」

そうでないと、意味がないのです。

そうしないと、心が壊れてしまいます。

壊れた心で思いつけることは、不健全なことだけです。


恐れと不安に支配され、怒りを抑圧し、そうして心が壊れていく。

壊れた心は依存心を生み出し、すべてをまわりのせいにしだします。

まわりのせいにすればするほどに、自信を失い、卑屈になります。

壊れた心は、自律的に回復することはありません。


何は手はないのでしょうか?

『正確無比な美しい動きを自分のものにする』

これしかないと思います。

姿勢と動きが美しくなった瞬間、心の再構築が完了すると信じています。


正確無比な美しい動きは、基本動作の積み重ねでしかつくれません。

人体の設計図(仕様)どおりに体を使う練習をするしかありません。

運良く、幼少時から『美しい動きをする大人』に育てられていれば幸運です。

多くの人たちは、壊された不正確な動きを修正する必要があります。


動きを修正した人たちの、充実した表情と、しあわせそうな雰囲気。

それをリアルタイムで見る度に、姿勢と動きと呼吸の改善の仕事をしていてよかったって思います。