2015年10月15日木曜日

母親は偉大な存在=母親のおかげで良い人生になる=母親のせいで悪い人生になる

母の字の源

僕は、『全部母親のおかげ=全部母親のせい』だと考えています。

うまくいくのも、うまくいかないのも、良い人生になるのも、悪い人生になるのも。

「父親にだって責任がある」という意見もあります。

しかし、その父親を選んだのは母親です。

責任があるとすれば、母方の祖母だと思います。

遡(さかのぼ)り続けると、原生動物までいってしまいます。

そこまで遡ると、ゆるせるものです。


例えば、父親のことを罵るような母親の元で育ったとします。

男性全般に対して、肯定的なイメージがもてるでしょうか?

逆に、母親が父親に自分のことを罵るように仕向けた場合はどうでしょう?

男性全般に対して、肯定的なイメージがもてるでしょうか?


母親なり父親なり、暴言が家庭の中で飛び交う環境で、自己肯定感情が育まれるでしょうか?

自分の根源的存在価値を実感できるでしょうか?


お互いに口すらきかない、憎しみ合っている両親の元で、子供が何を感じるか?

両親がいがみ合うのは自分のせいだと思い込んでしまうことになります。

そのまま大きくなるとどうなるか?

子供は、自分の問題を自分で引き受けれなくなります。

不安で不安で仕方がないからです。

そして、すべてを母親の育て方のせいにします。

激しく怒って母親を罵倒するのは、内心の不安ゆえです。

問題を自分の問題として受けいれれないので、母親を責め立てます。


問題はすべて母親によってつくりだされるわけですが、解決するのは子供自身です。

理不尽ですが、それが現実です。


その点、良い母親に恵まれた場合はパラダイスです。

そんな問題が、この世に存在することすらよくわからないまま生きていけますから。

しかしその場合は、どん底から這い上がる楽しみを味わうことはできません。

毒々しい母親の元に生まれてから、自力で人生を変えていく醍醐味はなかなかのものです。


ただし、その『自力で何とかしようとする姿勢・できる能力』も、母親のおかげだったりします。

なんのことはない。

やはり母親の掌(てのひら)の上で踊っているに過ぎないのです。

それほどに、母親という存在は偉大なのです。


そう考えてみると、『どんな母親の元に生まれたか?』って、人生そのものだと思えます。

どんなすごい人物も、母親によって育てられたのですから。


最近、年老いた自分の母親の混迷ぶりを眺めています。

「僕の人生が混迷を極めるのも当たり前だな(笑)」

心から、そう感じます。

僕が抱えている問題のすべての要素は、母親由来だなって思います。


血は争えませんね。


面白いもので、母親を責めるのをやめてから、自分を責めることがなくなりました。

どんな母親であっても、母親を責めると自分を責めることになってしまいます。

逆に言えば、母親を受けいれることができれば、自分を受けいれることができます。

しかしそれにしても、昔の母親はいろいろひどかったなと小一時間(笑)。


というか、自分の母親を責めると、自分が子供から責められます。

終わらない負の連鎖というやつです。


某塾生が母親ネタを書いていたので、僕も書いてみました。

子供が母親に望むことは、そんなに多くはありません。

「きちんと相手をしてくれること=話を聴いてくれること=母親の意見を押しつけられないこと」

毒々しい母親は、子供の頃に母親に満たしてもらえなかった思いを子供にぶつけているだけ。

ただ、それだけなのです。

なので、できることなら母子同時に解放されるといいなと思います。


姿勢・呼吸・身体操作の改善には、根本から母親を変える力があります。

とはいっても、それを理解できるのは、良き母親と、その元で育った子供なのですが。

「自力で改善しよう」という意思を持てるように育てれていればいいのですが、難しいです。

やはり最後は、『母親は偉大』という結論になります。


今年中に、母親をテーマにしたワークをやりたくなりました。