2017年10月11日水曜日

見るよりも聴く~人としての感情を伴いながら接することを通して、自分には操作できない他者の最奥の根源、「その人の本質を丸ごと、あるがままに見る」

ひさしぶりに読み直してみたら、フロム先生の凄さに圧倒されています。

聴くということ エーリッヒ・フロム

聴くということより。

P333~335

転移も逆転移も、いわば色眼鏡を通して相手を見ることだが、フロムはそれがすべてはないと強調する。

人間と人間がリアルに出会い、相手をあるがままに見ることは可能だと主張する。

なぜなら、すべての人間の体験、人間的体験は、自分自身の中に潜在しているからである。

もちろん、人はそれぞれ違うのだから完全に理解することなどできないという批判も成り立つ。

だがフロムなら、こう反論するだろう。

にもかかわらず、共通している部分があるからこそ対話も分析も成立する。
ならば、その共通性を最大限に生かせばよい。

いわば同時的で相互的な自己分析が起こるセラピーでは「人間への関心」と「人間らしさ」を失った語りのなかに、「人間なるもの」が感情移入と追体験を通して聴き取られ、分析者と被分析者とがすべての人間的体験に開かれ、自分自身の内面に聴くという構え、自己分析し続ける構えが、分析者から被分析者に移るような形で習得され、技として結実する。

それを通して、被分析者は、「人間の関心」と「人間らしさ」とを回復する

それがフロムにとって真の意味での回復~十全に人間として存在すること~ということになる。

P338

フロムは見えないものに耳を澄ますという「聴くこと」の本来のあり方を強調する。

可視化されない内面的本質を聴き当てようとする。

それは、「見ていることと違うものの可能性に開かれる」ということである。

分析者に求められているのは、「自己と他者の内面的本質」への開かれである。

フロムは、見ることには二つの種類があると言う。

第一は、操作の対象として見ることで、第二は「主体的に見る」こと、「主体を通して見る」ことである。

フロムは第二の見方を肯定する。

人としての感情を伴いながら接することを通して、自分には操作できない他者の最奥の根源、その人の本質を丸ごと、あるがままに見る」ことである。

表面に見えないことを知覚することであり、「聴くこと」に近い。

P339

聴くことの核心は、主体として他者に接して「聞こえたことを言う」ことである。

これは単なるおしゃべりとは違う。

引用ここまで


薬院校で身体操作技法の指導をしてきたことで、5年前に読んだ時と感じ方が違います。

この本の解説は、とてつもなく楽しそうです。