2024年4月18日木曜日

深い呼吸、緩徐な心拍、低い血圧、そして笑顔を作る表情筋=大頬骨筋の活性化(反対に皺眉筋は非活性化)。

「ポリヴェーガル理論」を読む からだ・こころ・社会 津田真人

 「ポリヴェーガル理論」を読む からだ・こころ・社会 津田真人 より

「あそび」の社会性 ~腹側迷走神経複合体と交感神経のブレンド

 ポージェスによれば、哺乳類は、爬虫類までの脊椎動物とちがって、「腹側迷走神経複合体」による「社会的関与」システムを新たに創出しただけでなく、最も原始的な「背側迷走神経複合体」の「不動化」システムをも、「社会的な絆」のシステムへと社会化したのでした。

 オキシトシンなど社会的な神経ペプチドの開発によって、本来の「恐怖による不動化」を「恐怖なき不動化」=「不動化された愛」へと反転させたのです。これはその時ふれておいたように、「不動化」と「社会的関与のブレンド」とみることもできるのでした。

 では自律神経のもうひとつの段階、「交感神経の可動化」システムはどうでしょうか? ここで想い出してほしいのは、「可動化」の「社会的関与」との「ブレンド」としての「あそび」や「性的覚醒」です。つまり、「交感神経系」が強く活性化しながら、しかも同時に、「腹側迷走神経複合体」による社会性がブレンドされるケースが、ここでも考えられるのです。

 「あそび」は、「可動化」と「可動化」の抑制との両方を含んでいます。「腹側迷走神経複合体」が「交感神経系」を抑制かつ包含するのです。いわば安全と危険のブレンド(スリル)ですね。ならば、「探索」も、この「ブレンド」に含めてもいいかもしれません。

 こうして、「不動化」のシステムと同様、「可動化」のシステムもまた、「社会的関与」のシステムと「ブレンド」することによって、単なる防衛反応的な神経システムにとどまらず、向社会的な神経システムとしても作動することが明らかにされています。「可動化」のシステムは、ではどのように「社会化」させるのでしょうか。

 思い出してほしいのですが、ほとんどの哺乳類の子どもには、「あそび」が観察されます。爬虫類や鳥類でも、あそびらしき行動がありますが、一時的・偶発的なもので、持続的な社会行動としてのあそびは、哺乳類に特有なものです。哺乳類の子どもたちは(ヒトの子はもちろん、子イヌも子ネコも子ネズミも)、見知らぬどうしであれ、互いが安全とわかると、自然発生的にあそび始めます。

 では、彼らの一番お好みと見えるあそびの取っ組み合いは、本気のケンカと何が違うのでしょうか。どちらも「交感神経系」の「可動化」システムを、ほとんど全開で活性化させています。それでいながら、前者はつねに「これは本気の攻撃じゃないからね」(本当は仲間だよね)という「社会的関与」の意図のサインを、たえず互いに伝えあっている……そこに「あそび」のあそびたる所以があるのです。「社会的関与システム」が、単なる攻撃行動をあそびに変えるのです。

 そしてそれを可能にするのは、相互の「フェイス・トゥ・フェイスな」コンタクトであることを、特に近年のポージェスは強調しています。その際、相手の意図のサインを見抜くのは、「社会的関与」システムのニューロセプションで重要な役割を担う、側頭葉の紡錘状回・上側頭溝だとするのでした。そのおかげで互いに安全を検出しあい、必ず双方にはロール・チェンジが生じ、本気の攻撃にしない配慮が貫かれます。(もし誤ってケガでもしたなら、たちまちあそびはいったん終了して、「ごめん!」とか「大丈夫?」とか謝ったり気遣ったりします)。

 いわば「あそび」において「私たちは、闘うか逃げるかにならずに、自由に可動化するのです。」……ちょうど背側迷走神経複合体の、「恐怖による不動化」に代わる「恐怖なき不動化」が「愛」であったように、交感神経系の「闘うか逃げるかによる可動化」に代わる、「闘うか逃げるかによらない自由な可動化」が「あそび」なのです。同じく激しい活性化ではありますが、闘争モードでも逃走モードでもない、社会的な、「自由にあふれた活性化」が、ここに存在しています。それはいわゆる「フロー」や「ゾーン」の体験にも通じていく境地ではないでしょうか?

 ただし、この「可動化」と「社会的関与」の「ブレンド」には「不動化」と「社会的関与」の「ブレンド」としての「愛」にはみられたオキシトシン分泌や条件連合に相当するような、「ブレンド」をもたらす神経・内分泌的なメカニズムの説明はされていません。このため例えば、側頭葉のあの扁桃体(~辺縁系の防衛反応)への抑制ニューロンは一体どうやって一方では抑制しながら(「社会的関与」)、他方では抑制しない(「可動化」)のか、その時RSAはどうなるのか等々、不明なままであります。そこは残された課題ではありましょう。343-345P

※RSA=呼吸に伴う心拍変動成分「呼吸性洞性不整脈」。「迷走神経緊張」の有力な心理プロセスの指標として、とくにストレス反応やストレス脆弱性の度合いの指標として重視される。迷走神経の影響だけを示しやすいとみられる。

 上側頭溝と扁桃体は(中側頭回・嗅内皮質とともに)、ヒトにおいても社交圏のサイズと相関することが伝えられ、近年では何と、フェイスブック上の「友だち」の数にも比例して大きくなる脳部位でもあることが、金井良太らによって確認されています。ともあれこうなると、扁桃体と上側頭溝は、(ポージェスが想定したように)単に前者が後者を抑制するといった関係でなく、両者相携えて社会的に発展する関係にあること、つまり上側頭溝もただちに危険を察知するのに、おそらく扁桃体とともに作動する中枢として発展してきた部位であること、逆に扁桃体も、単に恐怖や嫌悪の中枢というより、向社会性の中枢として発展してきた部位でること、しかもその社会性は、単なる二者関係にとどまらず、むしろ複雑な社会の三者関係でこそ力を増したであろうことも、これらのことは示しています。510-511P

 実際、「フロー」がその名で呼ばれるのも、極度の注意集中とコントロール感をもちながら、なおかつ、「流れに運ばれるような」最高度に能動的な受動性、もしくは最高度に受動的な能動性による「楽しみ」の体験だからでした。いわば「可動化」の極における「不動化」、「不動化」の極における「可動化」。いやむしろ、能動的でも受動的でもない中動態? 「可動化」でも「不動化」でもない「社会的関与?」 

 実際、優れた神経科学者にして超絶ピアニストでもあるフレデリック・ウーレンらの研究では、演奏中にフロー状態にあるピアニストは、深い呼吸緩徐な心拍低い血圧、そして笑顔を作る表情筋=大頬骨筋の活性化(反対に皺眉筋は非活性化)を示します。ただそのとき、RSAはむしろ減少するとのこと……ウーレンらはここに、RSA増加に拮抗する交感神経と副交感神経との共亢進をみるのですが、ならばこれは、腹側迷走神経複合体ー交感神経系ー背側迷走神経複合体の三重のブレンドとも解釈可能です。同時に一方、ブレンド時の腹側迷走神経複合体の活動指標はRSAで有効かとの問いも生じます。511P

引用ここまで

 

 フロー状態にある人が、深い呼吸、緩徐(ゆるやかで静か)な心拍、低い血圧、そして笑顔を作る表情筋=大頬骨筋の活性化(反対に皺眉筋は非活性化)を示しているのに対して、過緊張状態にある人は、浅い呼吸、急激な心拍、高い血圧、そしてしかめっ面を作る表情筋=皺眉筋の活性化(反対に大頬骨筋は非活性化)を示します。

 パフォーマンス中に楽しそうな笑顔になっているパフォーマーとオーディエンスは、フロー状態になっている可能性が高く、それをしかめっ面で観ているノリが悪いオーディエンスはフロー状態になれていない可能性が高いということがあります。

 フロー状態になれているオーディエンスは、パフォーマーと一体になって盛り上がることができます。社会交流の迷走神経(腹側迷走神経複合体)が活性化しているためです。

 一方で、フロー状態になれていないオーディエンスは、闘争モードに入りがちです。盛り上がっているイベントを観察すると、一定数のしかめっ面な人たちがイライラしながら退屈そうにしているのがわかるかと思います。

 「あそび」において「私たちは、闘うか逃げるかにならずに、自由に可動化するのです。」という言葉の意味を理解できれば、私たちは「苦痛と退屈の往復運動」から解放されるかもしれません。

 ゴールデンウイークのワークショップでは、ひさしぶりにパワポ資料をつくって、プロジェクターを用いて解説をしようと思います。

☆新宮校GWワークショップ

4月29日(月・祝) → 詳細

5月6日(月・祝) → 詳細

 

☆大手門ワークショップ

5月4日(土・祝) → 詳細

2024年4月16日火曜日

ゴールデンウイークのワークショップについて。交感神経系(闘争ー逃走反応)、背側迷走神経複合体(凍りつき反応)、腹側迷走神経複合体(愛ーつながり反応)について理解する。

  ゴールデンウイークのワークショップは、以下の通りとなります。

☆新宮校GWワークショップ

4月29日(月・祝) → 詳細

5月6日(月・祝) → 詳細

 

飯塚ヨガワークショップ 

5月3日(金・祝)→ 詳細 

 

☆大手門ワークショップ

5月4日(土・祝) → 詳細


 新宮校と大手門では、リクエストに応えて、交感神経系(闘争ー逃走反応)、背側迷走神経複合体(凍りつき反応)、腹側迷走神経複合体(愛ーつながり反応)について理解し、「安全」を手がかりに、身体に備わる治癒力にアクセスする技法について解説します。


サイエンス・オブ・ヨガ 190-191Pより


サットヴァ(純質)

 静かな心的状態。満足感、つながり、明晰さを特徴とする。


ラジャス(激質)

 興奮した心的状態。怒り、不安、活発性、創造性を特徴とする。


タマス(暗質・翳質)

 不活発な心的状態。怖れ、抑うつ、不動性を特徴とする。


 神経系は、3つのグナがそうであるように、外界から突きつけられる難題に対処するために一日中、そして一生にわたって変動し続けています。ヨガを習慣にしていると、絶え間ない変化を偏った判断をせずにありのままに観察できるようになり、ものごとに振り回されなくなります。


 避けることのできないストレス要因にさらされながらも、人生に意味とつながりを見いだすことです。この意識が高まるにつれて、レジリエンスも高まっていきます。


引用ここまで


 ※「レジリエンス(resilience)」は、「回復力」「復元力」「弾力」などと訳されており、心理学においては「精神的回復力」を表す用語。

2024年4月11日木曜日

三角のポーズ(トリコナーサナ) 自分の体の声に耳を傾け、痛みや刺すような感覚があればポーズを緩める。膝をロック、または過伸展させないようにする。

三角のポーズ(トリコナーサナ)

サイエンス・オブ・ヨガ(アン・スワンソン)118~121Pより

三角のポーズ トリコナーサナ(Trikonaasana)

 三角のポーズは体を強化することができる、しっかりと足をついて行う立位ポーズです。重力に抵抗し、前方に傾かないようにするために、脊柱と胸郭をひねる動作も含まれます。このような強度の高いポーズは、筋肉と骨の両方を強化します。

ポーズの特徴

 このポーズは、とくに体幹、大腿部、脚を強化します。脊柱に近いとことにある深部の筋肉は、脊柱を安定させるために引き締められ、脳へフィードバックを送って、心と体のつながりを高めます。

ポーズの効果

 三角のポーズのようなポーズでは、大腿部、股関節、背中の筋肉を強化することで、骨密度を高めるという効果もあると考えられる。このポーズを行う際は、自分の体の声に耳を傾け、痛みや刺すような感覚があればポーズを緩めます。また、膝関節には注意するようにしてください。

圧点

 どんなポーズでも、しびれやピリピリする感じ、電気が走るような痛みが起こったら、緩める、またはポーズを解く。同様に、刺すような鈍い、感覚がないような感じがある場合も、中止すべきである。これは、血管が圧迫されて血流が妨げられたために起こることである。

膝の過伸展

 三角のポーズなどすべての立位ポーズでは、膝をロック、または過伸展させないようにする。神経や血管を遮断する恐れがあるからだ。膝はほんのわずかに曲げ、180度に近いが安定する位置を見つける。筋肉は関節を支えるためにより強くはたらくので、さらに強化される。

引用ここまで

 明日より、東京ワークショップです。先月につづき、教本はサイエンス・オブ・ヨガです。

 安部塾では、ヨガやストレッチングでよく用いられる表現である「痛気持ちいい強度」を否定しております。アドレナリンやドーパミンなどのホルモンの影響により痛みを快感だと誤認してしまうため、「気持ちよさ」を基準にすると強度が高くなりすぎ、ケガや故障につながるためです。

 関節をロックさせたり、過伸展させることも否定しております。ゆるすぎる関節は、様々な問題を引き起こすためです。いまだに、「身体が軟らかいとケガをしにくい」という迷信を信じている人がいますが、実際には関節がゆるい人はケガをしやすくなります。

 あと、基本的な「ねじる方向」の間違いも問題を引き起こします。間違った方向にねじりながら力を入れていくとセルフ関節技状態になり、自己破壊が進行します。自分の知識や判断能力は思い込みの産物であって、現実に問題を生じているのであれば間違っているのだという認識が必要です。間違ったやり方を積み重ねていくと、そこに待っているのは地獄です。

 厄介なことに、身体の使い方が間違っていて、りきんだ動き(やっている感のある動き)を正しいと自認していると、「正しい使い方をしている人(りきみのない動きをしている人)」のことを否定するようになります。その人の目には、りきんでいない動きは間違っているように映るからです。

 ポージングの仕組みや感覚を理解するのに、三角のポーズは最適だと考えております。


☆東京ワークショップ

4月12・13・14日(金・土・日)→ 詳細  

   

新宮校ワークショップ(休日)

4月21日(日)→ 詳細

 

☆新宮校ワークショップ(平日)

 4月22日(月) → 詳細  

 

☆大阪ワークショップ

4月25日(木)→ 詳細

 

☆名古屋ワークショップ

4月26日(金)→ 詳細

 

☆神戸ワークショップ

4月27日(土)→ 詳細

2024年4月9日火曜日

結果を恐れるな。失敗を重ねることで、彩りに溢れた人生になるから。

 「結果を恐れるな。何を達成したかで自分を評価してはいけない。自分の能力で何を達成すべきだったかで自分を評価しなさい。」

 良い結果がでなくても、失望してはいけません。「やってきたこと」の効用は自分の生涯を色彩あるものにしてくれるからです。馬鹿にされたち、怒られたりするのを恐れて、前に進むのをやめてしまったら、その瞬間に人生から色彩が失われてしまいます。

 思うような結果が出なくて、自分の能力に懐疑的になって、自己不信に陥ったときこそ、諦めてはならないのです。継続することで能力が伸びてきます。人生は、失敗を重ねることで、彩りに溢れていきます。

 うまくいかなかったとしても、「まだ物語の途中なんだ」と感じれている人はしあわせなのです。

 そもそも論、成功というのは自分だけの力で手にできるものではありません。たまたま、まわりの人たちや状況に恵まれただけ、たまたまタイミングが合っただけという、「運」が良かったというだけなのです。巡り合わせが悪いときは、何をやってもうまくはいきません。

 失敗した人たちのことを馬鹿にしたり、上から目線で批評したりすると、自分が失敗を恐れるようになります。失敗を恐れずに生きていくためには、失敗している人たちもまた、物語の途中を生きているだけなのだと感じれている必要があります。

 何を達成すべきなのかを考え、失敗を恐れずに前に進んでいたら、人生は華やかで色彩溢れた物語になっていきます。

2024年4月5日金曜日

中立的に価値を論じる批評的思考ができる人は好かれます。自分が気に入らない対象に対して、どうにかして自分の意見をねじ込んでやろうとする批判的思考の人は嫌われます。

 批評的思考とは、中立的に価値を論じることです。いま現在、そこにある問題を見つめて、原因と解決策を考えて、これからの一連の流れを導き出すことができます。対象となる人物やことがらに対して、自分が本当に興味を持てている場合には、批評的な思考が可能になります。お互いのしあわせを願っているのが相手に態度で伝わるので、談笑裡に話が進みます。

 論理の誤りや脆弱性に対して、それらを指摘し改善をしていくことで幸福感を高めることを目的としています。ともに完成度をより高めたいという願いが、そこにあります。

 これに対して、批判的思考というのは、あら探しと詮索にすぎません。自分が気に入らない対象に対して、どうにかして自分の意見をねじ込んでやろうと考えています。「私の批判は聞くべき!」という謎の自己主張をする人たちが陥っている思考です。根っこに怒りや不満が渦巻いているために、建設的な話にはなりません。

 自分の価値観でしかものごとをとらえられない人は、多角的なものの見方はできません。それは即ち、柔軟な思考ができないということを意味します。単なる粗探しできかなく、攻撃する材料を探してるだけで、生産的でも建設的でもないのです。

 粗探しばかりしている批判的思考の人は、強い劣等感を抱いています。気に入らない他人を下げることで優越感を味わうことで安心しようとします。内心では、「この人、すごい」と感じていても、自分より優れていることを認めてしまうと、自分のことがが惨めに感じられてしまうため、自分以外の他者のことを認めたくはありません。結果として、ヨイショ以外で、他者を褒めることはありません。周りにいる人たちも、ヨイショしかしません。控えめに言って地獄のような状況です。

 また、妬ましい気持ちから、他人が自分より優れているのが面白くないと感じます。自身がある人は、優れた人を見ると、素直に「いいなぁ」と認めます。自信がない人は、「あんな人のどこがいいのかわからない」と、ひねくれた反応をしてしまいます。他者の優れた点を認めずに、他者を下げる発言をして、評判を落とすことに躍起になります。

 また、「自分はすごい人アピール」に余念がありません。

 批判的思考をする人は、必要以上に自分と他人を比べる傾向があります。強烈な劣等コンプレックスを抱いているので、常に周りの人たちと自分を比べて不安感に苛まれています。ありのままの自分ではダメだと感じていて、人から認められたいという強烈な気持ちを持っています。自分が他者よりも劣っていると感じると傷つくために、過剰に防衛しようとして、さらに批判的思考を強めてしまいます。

 劣等コンプレックスが強い人は、批判して罵ることが大好きです。しかし「あなたがやってみてください」と言われると、なんだかんだと言い訳をしてやろうとはしません。自分に責任がない立場で誰かのことを非難すると、快感を得ることがいます。しかしそれは、「もしも自分がその誰かの立場になったら批判され罵られる」という恐怖感を強化することになるからです。

 無責任な立場で批判するより、自分が責任をもってお手本をやって見せるのが筋というものだと、誰しもが思うはずです。責任のない立場で文句ばかりいう老人になるのは惨めです。理不尽に説教するのが楽しいというのは、それだけ現実生活が不しあわせだと感じているということでもあるのです。

「君子は、他者の美点を自然に探し、見つけるものである」という言葉があります。優れた人は決してあら探しはせず、対象の美点をさらに高めるための洞察を繰り返すのです。

 ちなみに、現実世界では「成果を出すと批判される(あら探しの対象となる)」のが常です。小人の嫉妬心というのは強力で、「出る杭を打たずにはおれない」からです。ただ、嫉妬心からの批判というのは劣等コンプレックスがエネルギー源なので持続力がないため、ほおっておけば消えていきます。多くの場合、時間が解決してくれます。

 批判的思考の人からの罵り(否定の言い回し)を、肯定的な言い回しに変換すると「誉め言葉」になります。嫉妬から生まれてくる罵り言葉なので、ある意味では絶賛されていると考えることも可能です。自分の価値観でしかものごとをとらえられない人の意見は真に受ける必要はありません。

 人生は短いので、これからの一連の流れを一緒に導き出そうとしてくれる人たちとつながっていった方が良い展開になると思います。

あら探しばかりしている人は、不しあわせな人です。

  あら(人の言動や作品のよくないところ)探しばかりしている人は、不しあわせな人です。

 人の脳には、あら探しに成功すると「自分は重要な人間なんだ」と感じてしまうバグがあります。他人のあらを見つけることで、自分が偉くなったような錯覚に陥ってしまうのです。このため、あら探しをしていないと不安になるようになり、あら探しがやめられなくなる依存状態に陥ることになります。

 逆に言えば、他人のあら探しをしていないと、自分のことを重要な人間なんだと感じることができないということでもあります。他人サゲ、自分アゲの人は、だいたいそうだと思います。

 他人のあら探しをする行為には、致命的な問題があります。あら探しをされた相手からは、当然の結果として嫌われてしまいます。偉そうに他人のあら探しをしてばかりの人のことを、好きになる人は稀有な存在でしょう。

 さらに、類友の法則がはたらくため、あら探しばかりしている人のまわりには、あら探しばかりしている人が集まってきます。

 そんな状態が「しあわせ」だとは、とても思えません。

 昨日も書きましたが、人は、他人の悪口を言ったり書いたりすると、一瞬の快楽と引き換えに、自分の心の奥底が傷つくようにできています。現代的にいうと、脳機能がダメージを受けるということになります。

 脳は自他の区別がつかない構造になっているため、他人の悪口を言ったり書いたりすると、もっともダメージを受けるのは自分自身の脳ということになるのです。

 少し、まわりを観察してみると、しあわせそうな人は他人のあら探しなんてしていなくて、自分のやりたいことを楽しくやっているのがわかると思います。他人のあら探しをしている人で、しあわせそうな人なんて、ただのひとりもいないと思います。

 以前、「あら探しをする人と距離をとると、そのぶんだけしあわせを感じる機会が増えるよ」とお話されていた方がおられましたが、実際、ほんとにその通りだと思います。

2024年4月4日木曜日

他人をけなしてばかりいる人(他人の悪口ばかり言っている人)が、関節炎や皮膚炎になりがちな理由についての考察。

 古い脳は主語が理解できない(一人称と二人称を区別できない)=「自分」と「他人」の区別ができない。

 不しあわせな人は、自分と他人を比べて、自分が優れている感じたときに「優越感」を抱き、自分が劣っていると感じたときに「劣等感」を抱きます。

 劣等コンプレックスは強烈なネガティブ感情を誘発し、悪口を言ったり、誹謗中傷を繰り返すことになります。悪口や誹謗中傷を言うことで、自分と相手との比較において、相手を貶めて引きずり下ろすことによって、自分の価値を相対的に高めようとします。劣等コンプレックスからくる苦痛をを緩和しようとするわけですが、実際はうまくいきません。

 「他人の悪口を言う」のは、「自分で自分に悪口を言っている」のと同じだからです。古い脳は主語を理解できないという性質を持っています。なので、自分が発した言葉を自分のこととしてとらえます。

 大脳新皮質(理性・知性の脳)を「新しい脳」では主語を認識できるのですが、感情を司る「古い脳」のほうは認識できません。新しい脳から送られてくる情報をすべて真に受けてしまうことになります。

 他人の悪口を言うと、古い脳では自分が悪口を言われた時と同じ状態になります。つまり、相手の悪口を言うと、自分自身に悪口を言っていると判断しダメージを受けます。

 人をけなしてばかりいる人を観察してみると、自己評価が高すぎる割に、ひどい自己嫌悪に陥っているのがわかります。悪口はストレスを増やすため、脳を傷つけ、健康寿命を縮めることになります。

 厄介なことに、他人の悪口を言うという行為には依存性があります。悪口を言うと、快楽に関与するホルモンである「ドーパミン」が放出されます。 ドーパミンが放出されることで楽しくなってしまうのです。依存性がある上に、だんだん効かなくなってくるので、悪口を言う回数が増え、内容もより過激になっていきます。

 悪口を言って分泌されるのはドーパミンだけではありません。ストレスホルモンであるコルチゾールも過剰に分泌されます。ドーパミン放出による快楽を得ている裏で、ストレスにさらされているのです。コルチゾールが脳内で過剰に分泌されると、記憶の保存に関わる海馬の神経や前頭前皮質のシナプスのつながりが破壊されていきます。

 副腎はストレスを感じた時に、そのストレスに対処するために分泌される「抗ストレスホルモン」を分泌する、両側の腎臓の上に存在する小さな臓器ですが、慢性的にストレスにさらされると、副腎が疲弊し「抗ストレスホルモン」を充分に分泌できなくなります。これが「副腎疲労」です。そうなると、アドレナリンやノルアドレナリンが過剰に分泌されることになります。

 悪口を言っているときの脳は「闘争・逃走状態」になっていきます。アドレナリンが分泌されて高揚感があるのですが、それはストレス反応としての興奮状態でしかないのです。これも観察すればすぐにわかりますが、脳が「闘争・逃走状態」の人は、関節を壊しがちです。体のいろいろな部位で炎症が起こりやすく、治りにくくなるのです。アレルギーが抑えられなくなり、じんましんや皮膚炎、鼻炎や喘息などが発症します。アドレナリンやノルアドレナリンが過剰に分泌されることによって、自律神経が乱れます。

 攻撃的に他人をけなしてばかりいる人の写真を拡大すると、炎症による肌の荒れが確認できると思います。映像で動きを観察すると、関節機能の不具合も確認できると思います。

 他人の悪口を言うのは、ひとときの快楽と引き換えに、自身の脳や肌や関節を傷つける結果になりがちなのです。

 というか、しあわせな人は攻撃的に他人の悪口を言う必要がないので、まずはしあわせになるのが先なのかもしれません。